Interview

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【対談編】中世の漢学から、
日本社会の変遷や
アジアの中での書物の歴史を紐解く

【対談編】中世の漢学から、
日本社会の変遷や
アジアの中での書物の歴史を紐解く

研究タイトル「鎌倉・南北朝期の書物的ネットワーク―写本・版本の流通と相互関係」

プリンストン大学 助教授

スタイニンガー ブライアン ロバートさん(アメリカ)[第13回招聘研究者]

早稲田大学 文学学術院 教授 博士(文学)

河野 貴美子さん[受入担当教員]

研究タイトル「鎌倉・南北朝期の書物的ネットワーク―写本・版本の流通と相互関係」

プリンストン大学 助教授

スタイニンガー ブライアン ロバートさん(アメリカ)[第13回招聘研究者]

早稲田大学 文学学術院 教授 博士(文学)

河野 貴美子さん[受入担当教員]

日本の平安時代以降の写本や版本を中心に、中世の日本漢学を研究しているのが、アメリカのプリンストン大学助教授・スタイニンガー ブライアン ロバート先生です。今回の本フェローシップでの受入担当教員を務める早稲田大学文学学術院教授・河野貴美子先生とは、日本漢学の研究者同士として長い交流があるということで、今回は特別にお二人に対談形式でお話しいただきました。

 

宮廷の写本文化と、禅宗の僧侶が作る版本が混ざり合う中世

 

まず招聘研究者としていらしたスタイニンガー先生の研究内容から、教えてください。

 

スタイニンガー先生:僕はもともと日本漢学といって、前近代の日本における中国の伝統を受け継いだ学問や文学について、研究をしています。2年前に、平安中期の10世紀11世紀の官人たちの間で漢文学がどのように使われていたかをまとめた研究書を出しました。当時の社会で漢文学がどのような存在であったか、という研究です。

 平安時代を研究しようとすると、平安時代当時から残っている資料が少なく、主に鎌倉時代や室町時代に書き写されたテキストを使って研究することになりますが、そうした写本を見ているうちに、この写本は誰が作ったか、なぜ残っているかという、もう少し後の時代のことがだんだん気になってきました。

 そこで現在は、日本に残っている13世紀14世紀の写本や版本という「もの」としての資料を研究しています。これまでの研究で写本はずいぶん見てきましたが、写本だけではどうしてもわからないこともあり、版本も見なければいけないと気付いて、今回は日本で刷られた14世紀の版本、五山版という版本を総括して調べています。

 

河野先生:13世紀14世紀の漢学は、時代としても面白いときですよね。

 

スタイニンガー先生:この時代に中国は元の時代になり、13世紀の終わりから14世紀初めにかけて日元貿易が非常に盛んになります。それに伴って日本から禅宗の僧侶が大量に中国に留学し、僧侶たちが中国から本、特に版本を持ち帰るんです。そして禅宗の僧侶が宗教的なことに限らず、学問全般で次第に漢学の担い手になっていきます。15世紀になると完全にその役割になり、室町時代の漢詩や外交文書はほとんど臨済宗の僧侶の手によるものです。

 ですから13世紀14世紀の時期は、ちょうど以前からある宮廷を中心とした写本の文化をベースにした学問の形体と、禅宗の僧侶が担い手である新しい思想や本の形をベースにした学問の形体が、両方あって混ざり始めているという、たいへん重要な転換点になっています。

 

受入担当教員の河野先生との出会いや、交流について聞かせてください。

 

スタイニンガー先生:河野先生は中世の漢学はもちろんですが、幅広く古代から近代まで研究されている、日本漢学の第一人者です。最初は偶然というか、すごく貴重なありえない出会いでした。

 

河野先生:2007年に日本の漢詩文・漢文学の研究者3~4人で集まるとても小さな読書会があって、そのときに出会ったのが最初ですね。

 

スタイニンガー先生:僕は当時、東京大学に所属していましたが、それは慶應義塾大学の佐藤道生先生に誘っていただいて参加したんです。河野先生と佐藤道生先生と、大阪大学を定年でご退職後成城大学にお勤めだった後藤昭雄先生という日本漢文を代表する方々がいて、そこに院生で何も知らない僕が入って一緒に本を読んでいたという。当時はよくわからなかったんですが、わかっていれば入る勇気がなかったと思います(笑)。

 

河野先生:佐藤先生が北米での漢学のワークショップを開催しておられて、そこでまず知り合われたのですよね。

 

スタイニンガー先生:コロンビア大学で佐藤先生を含めて3人の日本の先生が、3週間で漢学の集中講義のワークショップをされていて、そこで佐藤先生に出会って「日本に来たときはおいで」と誘っていただきました。

 

河野先生:その次が2013年に、アメリカでアジアを研究するAASという大きな学会がサンディエゴで開催され、「平安期と中世日本の説話と文学知識」をテーマにしたパネル発表に参加した際、スタイニンガー先生にディスカッサントをお願いしました。その後、先ほどのご著書をまとめるときに一年間日本にいらして、そのときには私の授業にも来てくださって。

 

スタイニンガー先生:まさしく中世の漢学、学問の形体についてのゼミでしたね。

 

河野先生:清原宣賢という16世紀の学者が漢文をレクチャーした講義ノートがあり、それを読んでいましたね。そして、その後にAJLS(アメリカ日本文学会)でパネル発表をしたときも、やはりディスカッサントをスタイニンガー先生にお願いしました。さらに2018年春に、私がアメリカのUCLAに集中講義で行った際、時期を合わせてスタイニンガー先生による日本漢文の講演会が開催されました。要するに日本の漢詩文や漢学を研究しようとすると、あまりそれをしている人がいないので、しょっちゅう会うという感じです(笑)。

 

 

 

他分野の研究者とのつながりや、研究の視野が拡大

 

スタイニンガー先生は本フェローシップの期間中、どのような形で活動されていますか?

 

スタイニンガー先生:私は早稲田大学の図書館を拠点にいろいろな図書館、たとえば東洋文庫や、著名な五山版のコレクションを誇る成簣堂文庫(石川武美記念図書館)などへ行き、資料を調査しています。図書館で予約をして本を出してもらい、いつ出版されたかが記されている刊記を見たり、寸法を測ったり、書き入れがあるかなど、残っている情報をメモして写本や版本の相補関係を少しずつ見つけていく、という地道な作業をしています。

 

河野先生:至福の時間ですよね。それと大学では週に1回、研究会に参加していただいています。平安時代の人が漢詩を作るときや中国について知るときに教科書のように使っていた唐代の詩人李嶠の『百詠』というテキストがあり、それを学生たちと一緒に読んでいるんですが、でもそれはスタイニンガー先生がもうすでに詳しく研究済みのものですから。

 

スタイニンガー先生:日本に残っている写本を一通り見て比較して、写本と写本の間、テキストにどんな異同があるといった情報を書き起こし、研究者のための基本的な資料として、もう一人の研究者と報告を出しました。

 

河野先生:この研究会に来てくださって、本当に有難うございます。誰も気が付かないような一字一句の細かなところまで鋭い指摘をしてくださるので、学生たちも驚きながら、本当にいい刺激を受けていると思います。

 それと、今年の5月に「日本漢詩文における規範と破格――平安中期の「国風」の発見を見直す」というテーマでご講演をしていただきました。そのご講演では、「国風文化」について、歴史研究のほうからスタイニンガー先生が原稿依頼を受けていらして、そこでお考えになったことに関連する話題を話してくださいました。

 

スタイニンガー先生:国風文化は近年、歴史の分野でも話題になっています。奈良時代までは、宮廷の儀礼や文学、法律といったものが中国・唐朝の規範をもとにしていましたが、平安中期になるとガラッと変わって日本独自のやり方がいろいろな分野で見られるようになる、というような表層的な現象への捉え直しが色々と議論されています。その議論の中、平安中期になって盛んになる仮名文学、和歌や物語が特に象徴的な存在です。それで歴史家が国文学を使って議論しているところに、われわれ国文学者が国文学の視点から物申すということで、とても刺激的でいい機会になりました。

 

河野先生:今、文学研究と歴史研究、あるいは宗教研究とか、いろいろな分野をまたいでの研究といったことも少しずつ広がってきていますね。日本ではまだ分野ごとの垣根が高い感じがしますが、アメリカではどうですか?

 

スタイニンガー先生:アメリカでは歴史研究は歴史の意識が強いようですが、宗教研究と文学研究はとても密接になっています。たとえば私がやっている本の作成者や贈与者を調べたりするのは、文学だけの問題ではまったくなく、宗教学や社会学にも深く関わっています。

 

河野先生:今回の国風文化の講演会では、早稲田大学の日本史の川尻秋生教授をはじめ歴史関係の研究者や学内外のさまざまな領域の研究者たちも大勢会場に来ていらして、スタイニンガー先生とのつながりを通して、分野の異なる研究者たちとの交流が広がるという経験をしました。

 

 

共同研究することで、人とのつながりや研究が広がっていくのですね。

 

スタイニンガー先生:私も研究会などを通して、河野先生から多く学ばせていただいています。同じ漢文研究といっても方法はいくつもあり、私が院生時代に学んだ大学は訓点研究が強いところで、古い写本を見てこの漢文は日本語でどう読まれたか、この漢詩はだれが何の行事のためにこしらえたか、いわば「現場」意識が強い感じがします。どちらかと言いますと日本の漢文の日本的な要素を重視しているかもしれません。

 それに対して河野先生は、日本漢文でも大陸とのつながりを強く意識なさって、この表現がここで使われていることは中国のどんな本がいつ日本に伝わってきたもので、日本でどう理解・注釈されたかを絶えず追求されておられます。それは河野先生ご自身がたびたび中国や韓国でご研究の発表をされるなど東アジアの研究者と強いつながりを持っていて、漢文を東アジア全体のものとして捉えておられるからだと思います。

 

河野先生:アメリカでの日本の漢文学研究は、どういう状況なのですか?

 

スタイニンガー先生:もともとアメリカでは日本文学を研究している人は決して多くおりませんが、この10年ほどで和漢比較とか、日本漢文が注目を集めるようになっています。

 

河野先生:それはこれまであまり研究されていなかったということもあると思いますが、他に何か理由がありますか?

 

スタイニンガー先生:内在的な要素でいうと、1990年代から日本文学研究の中で「日本文学とは何か」という反省が、中心的な課題になってきたことがあります。今われわれが古典と拝んでいるものは、明治時代に近代的に作られたもので、その陰で忘れ去られたものがたくさんあることがわかってきました。忘却されたものの中でいちばん大きな存在が、日本漢文です。その日本漢文を捉え直して、近代的・国家的な思想が支配的だった時代を越えて、もう少し多様性のある日本文学を歴史の中で考え直さなければいけない、という意識がだんだん強くなってきています。

 それと外在的な要素でいえば、現在の中国が経済的・政治的・文化的に存在感が大きくなっていることがあります。アメリカで中国語を学ぶ人も増えていますから。

 

河野先生:日本の場合、近代以降、日本文学・国文学は日本語で書かれたもので、漢文は中国のものだという概念が強くありました。しかし、アメリカなど日本以外で日本研究をしているところは、学部の名前も東アジア学部とかアジア学部というようになっていて、日本だけを研究するというのではなく、漢字文化圏の中の日本の漢字の捉え方をみるといった視点が生まれやすいですね。それが海外の研究者の強みでもあります。

 

スタイニンガー先生:そうかもしれません。僕の同僚にも韓国や中国の研究をしている人がたくさんいます。彼らと集まってお互いに自分の研究を定期的に発表していますが、日本文学だけを考えて話していてはだめで、もう少し東アジアのつながりを考えて、自分の研究内容を発信していかないといけないですね。

 

河野先生:日本は明治以降、国文学研究は物語や和歌など和文を中心に行われてきましたが、日本の古典と漢語・漢文との関係も重視すべきだという反省が生まれ、1983年に和漢比較文学会という学会ができました。ただ対象とされるのは日本と中国がほとんどで、当然見なければいけない韓国の研究などがいまだに多くはありません。

 アメリカの研究環境の中で、日本漢文を研究するスタイニンガー先生はどういう存在ですか?

 

スタイニンガー先生:たとえば今やっている研究では、中世の日本漢文、つまり禅僧が書いた漢詩とそれ以前の漢詩では内容や形態、意識に顕著な変化が見られますが、それが具体的に何によって変わったかというのは日本文学研究の中でも大きなテーマです。しかし、それと同時にこれを物質の本、版本・写本という視点で見ると日本文学だけではなく、世界の書物史にも関わってきます。日本の書物を研究している間、ヨーロッパの書物史とか、中国の書物史研究の成果を読んで何度も示唆を得ていますが、今度は逆にそういった隣接分野の研究者が読んでも有益になるようにまとめないわけにはいかないというのが、今の大きな課題ですね。

 ただ日本における国文学は、何千人も研究者がいてやはり規模が違いますね。そのなかで日本漢文は、従来は国文学からも中国からも疎外されてきた存在でした。

 

河野先生:日本漢文は、先ほども話にあった近代的なナショナリズムの構築とともに国文学の対象から外され、注釈などの資料も十分ではありませんし、正統な中国の漢文とも違う部分があり、読み解くだけでも非常に難しいです。しかし、それを読まなければ日本のことばの世界や学問、知の世界がどのように今につながるのかを解明できません。ですから私の問題意識としては、その近代におけるパラダイムチェンジ、学問や知識に対する考え方や体系がどのように変わったのかを見極めたうえで、私たちが今取り組んでいることの意義を説明していかないといけないと考えています。

 

 

他国の研究者とも積極的に交流を。それが後々にきっと役立つ

 

それでは今後の研究の展望や、海外の研究者へのメッセージをお聞かせください。

 

スタイニンガー先生:日本にいられるのは6 か月という短い時間で、地道な調査の作業が中心です。ただ、これも研究休暇をもらっているからできることで、普段はなかなかできないですね。アメリカでは授業がありますし、資料もありませんから。最近は日本の写本、版本でもデジタル化された資料も多くなっていますが、特に本という物質として見る場合は、デジタル化された画像だけでは情報が足りません。やはり実物の資料を見ることが大切です。現在は日本でその資料の調査をして、アメリカに帰ったら、研究会や同僚たちの前で発表していろいろな指摘を受けて、最終的には本にまとめる予定です。

 また今回、河野先生のおかげでさまざまな新しいつながりや原稿依頼・発表依頼をいただいて、自分の研究を日本に発信する、すごくいい機会をいただきました。発信をして、またいろいろな意見や指摘を受けることで、自分の研究を深めることができたと感じています。

 

河野先生:今は海外にいても瞬時にスカイプで議論もできますし、人の移動も数十年前に比べてすごくラクになりましたが、これから日本に来る海外の研究者にアドバイスはありますか?

 

スタイニンガー先生:そうですね。基本的にアメリカの日本研究者で日本に来ている人には、院生でも研究者でもそうですが、日本にいる間に貴重な一次資料に接する機会をもつのと同時に、一人で研究するだけではなく、日本の研究者と接する機会をぜひ作ってほしいと思います。僕が河野先生に初めてお会いしたのも読書会に参加したからで、そこからこのような交流を続けられています。ぜひ何かの研究会や読書会、ゼミなどに参加して、発表をしたり議論をしたりしてみてほしいと思います。

 

河野先生:今の世代の研究者は、抜群に日本語ができて、しかもスタイニンガー先生は漢文まで読めてしまう(笑)。そのおかげで交流ができていますが、日本の国文学の研究者は外国語が不得手なことも多く、日本側から海外へのアクセスが極端に少ない。この不平等をなんとかしていかなくてはいけないと思います。日本の院生たちも、ぜひ積極的に海外の研究者と交流してほしいと思いますね。

 

スタイニンガー先生:他国の研究者と接することで、人間同士のつながりが広くなりますし、研究のしかたもいろいろと学べます。図書館に閉じこもっているだけでは学べないことがあって、たとえ最初は自分の研究と直接の関係が見えなくても、後々それが絶対に繋がってきます。それは河野先生との交流をはじめ、私自身、何度も実感しています。

(2019年7月対談)

STEININGER Brian Robert(スタイニンガー ブライアン ロバート)

プリンストン大学 助教授
研究タイトル:「鎌倉・南北朝期の書物的ネットワーク―写本・版本の流通と相互関係」
招聘期間:2019年3月1日~2019年8月31日(短期/後期)
受入機関:早稲田大学

Interview

研究者インタビュー

「博報日本研究フェローシップ」により日本で研究生活を送った研究者の皆さんに、研究内容についてインタビューしました。