Interview

06

知られざる日本茶輸出の
意外なヒストリーと
それを支えた人々の物語

知られざる日本茶輸出の
意外なヒストリーと
それを支えた人々の物語

研究タイトル「1850年代~1950年代、日本茶輸出のグローバル・ヒストリー
─生産から消費までの担い手に関する社会経済史的考察─」

ウェイク・フォレスト大学 歴史学科 准教授

ヘリヤー ロバート インガルズさん(アメリカ)[第12回招聘研究者]

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研究タイトル「1850年代~1950年代、日本茶輸出のグローバル・ヒストリー
─生産から消費までの担い手に関する社会経済史的考察─」

ウェイク・フォレスト大学 歴史学科 准教授

ヘリヤー ロバート インガルズさん(アメリカ)[第12回招聘研究者]

近年、アメリカで日本の緑茶の消費量が急増しています。全体の輸出量はここ10年で4倍に増加し、その約半分がアメリカで消費されています。しかし、アメリカで緑茶が好んで飲まれたのは、歴史上これが初めてではありません。歴史学者のヘリヤー ロバート インガルズ先生によると、ペリーの黒船来航後、日本からたくさんの緑茶がアメリカに輸出され、明治時代には、アメリカで大きな緑茶ブームが起きていたそうです。
日本茶輸出の歴史を探るヘリヤー先生の研究によって、アメリカの緑茶消費動向と、江戸時代以降の日本の緑茶文化との関連性が見えてきました。

 

明治時代のアメリカで緑茶ブーム?!

 

先生は緑茶に関する研究をされていると聞きましたが、それはどんな内容ですか?

 

 僕が研究しているのは、1850年代から1950年代にかけての、おもにアメリカに向けた日本茶輸出についてです。明治維新後、日本茶の輸出は全体輸出量の約20%と、生糸に次いで大きな割合を占めていました。

 今回の滞在研究では、この輸出産業を実際に支えた日本の農家、工場、商人について調べました。実は、日本で煎茶が多く栽培されるようになったのは、明治時代になってから。つまりアメリカに輸出するようになってからなんですよ。そのキーマンとなった人々─例えば、静岡県の牧之原で、職を失った旧幕臣や川越人足(人や荷物を担いで川を渡した労働者)を率いて茶園を作った丸尾文六、横浜や神戸の工場でお茶を生成した女性たち、茨城県の猿島地方で製茶法の改良と普及に尽くした中山元成などの物語を集めました。また、輸出先であるアメリカの消費文化ついても研究しています。「どうしてアメリカ人が緑茶を好んだのか?」といったことです。

 

明治時代のアメリカで、そんなに日本の緑茶が飲まれていたとは知りませんでした。

 

 アメリカが独立した1790年代は、アメリカ国内ではイギリスと同じように紅茶のほうが多く飲まれていました。しかし1800年頃から、紅茶よりも緑茶のほうが洗練されているというイメージがうまれ、中国から多くの緑茶が輸入されるようになったんです。当時は中国が世界の緑茶市場を支配していましたが、日米修好通商条約によって日本が開港すると、日本からの輸入が増えていきました。

 1880年代には、アメリカの東海岸でウーロン茶が流行しましたが、中西部のシカゴやその周辺の農民は日本茶がとても好きだったようですね。

 

 

その後、アメリカで緑茶があまり飲まれなくなったのはなぜでしょうか?

 

 1890年代から、だんだんインド・セイロンの紅茶に人気が集まってきたんです。日本では、輸出量が増えたことによって産地が拡大したり、製造機の開発や品種改良が進んだり、お茶の生産量が増えていたので、供給過多になった緑茶をどうするかという問題に直面しました。1930年代には北アフリカやソ連、満州に輸出しようともしましたが、一番いいのは国内の消費を増やすことですね。その頃から、それまで輸出用だった品質の高い煎茶が日本の庶民にも普及しました。

 

それで、日本国内で煎茶が飲まれるようになったのですか?

 

 そうだと思います。それまで日本国内では、煎茶よりも番茶が飲まれていたようです。今回の滞在研究では、当時、日本ではどんなふうに緑茶を飲まれていたのかも調べました。大正時代まで、田舎では自家製の番茶が当たり前でした。しかも、茶業組合の報告書を読んで驚いたのは、東京に住んでいた富裕層も煎茶をあまり好まなかったことです。というのは、煎茶より番茶のほうが健康的だと思われていたのですね。それまで僕は、煎茶が高価なために国内であまり飲まれなかったと思っていたので、とても興味深いことでした。

 茶業組合は、煎茶をもっと飲んでもらうためには煎茶に対するイメージを覆す必要があると考え、煎茶には他の食品に比べてビタミンCがとても多いことなどをPRしたようです。また、煎茶を贈答品としても売り込む広告を展開しました。当時の販促活動は、今の煎茶のイメージに継続されています。

 一方で、日本の茶業組合はアメリカの雑誌や新聞にも、緑茶を宣伝する広告を出しています。1893年のシカゴ万博博覧会では、茶室を作って緑茶をPRしました。ただ、アメリカ人に一番好評だったのは、抹茶アイスクリームだったようです(笑)。今でも、抹茶はアメリカで人気がありますが。

 

 

自らのルーツは日本茶の貿易商

 

ヘリヤー先生が日本の緑茶の歴史について研究しようと思ったのはなぜですか?

 

 きっかけはふたつあります。

 まず、僕の先祖が幕末に日本にやってきた貿易商人で、日本茶を世界に輸出する貿易会社を興した人物であったことです。彼は、長崎が開港された時、いちはやく上海から長崎にやってきました。そして九州一円から生茶を買い付けて製茶し、これをおもにアメリカに輸出して大成功しました。ウィリアム ジョン オルトといい、当時の住居は今も長崎のグラバー園にあります。

 

先生の祖先も「日本茶の輸出ヒストリー」を支えた重要な人物だったんですね。アメリカ人ですか?

 

 いいえ、イギリス人です。彼は32歳で引退してイギリスに帰国してしまいます。その後、僕の高祖父を含む彼のふたりの甥がイギリスから日本にやってきて、貿易会社を引き継ぎました。高祖父は日本茶をアメリカの中西部に輸出していましたが、その後、輸出先だったシカゴに引っ越してアメリカ人になりました。僕がアメリカ人になった理由のひとつは、日本の緑茶のせいなんです(笑)。

 

とてもドラマチックですね…! 先生は子どもの頃から、こういった先祖のヒストリーを聞いて育ったんですか?

 

 少しは聞いていましたが、それほど詳しくはありませんでした。日本で研究をするようになってから、逆に僕が知ったことを両親に教えることもありました。でも僕の祖父母は結婚後に静岡で暮らしていましたし、父も東京で生まれたので、日本の話はよく聞いていました。

 実は、研究者になったもうひとつのきっかけは、大学卒業後、日本のJETプログラム(政府が主催する語学指導を行う外国青年招致事業)に参加して、日本の山口県の中学校で英語を教えたことなんです。一年間の滞在でしたが、その時、長州藩の志士のことを知って、日本の歴史に興味を持ちました。そして祖父母に聞いた話を思い出し、資料館などに行って自分の先祖の歴史も知りました。

 その後、ヨーロッパや中国を旅して、ヨーロッパでフランス語と学んだりしていましたが、やっぱり日本への興味を捨てきれず、もう一度JETプログラムに参加しました。一度目の山口は偶然の行き先でしたが、今度は長崎をリクエストしました。ただ、私がイメージしていたのは長崎市でしたが、実際の赴任先は対馬でした。博多からフェリーで約5時間もかかる離島です(笑)。これも1年間の滞在でしたが、とてもよい経験になりました。この時は対馬藩に興味を持ち、翌年からスタンフォード大学の大学院で、江戸後期の薩摩藩、対馬藩、幕府の外交史を研究しました。

 

 

京都、国際日本文化研究センターでの研究環境

 

今回のフェローシップに申し込んだのはなぜですか?

 

 私は去年まで、日本茶の消費に関する研究をシカゴでしていました。その前にも、東京大学で日本茶の輸出状況を調べていましたが、実際に日本の供給を支えた人々のことなど、きちんとまだ調べられていないところも多かったんです。そんな時、学会で知り合った研究者から「日本で研究をするなら国際日本文化研究センター(以下、日文研)がいい」と聞いて、日文研が受入機関のひとつになっているこのフェローシップに申し込みました。

 日文研では、研究者同士がひとつのテーマで一緒に研究をおこなう共同研究が行われていて、私も「万博博覧会と人間の歴史」という研究に参加しています。僕は日本が緑茶をPRしたシカゴ万博について調べていましたので、重なる部分があったのです。こうした共同研究を通して、研究者同士がコミュニケーションを取れるというのも、日文研のいいところだと思います。

 

実際の日文研の研究環境はいかがでしたか?

 

 とてもよかったですね。僕はこれまで、東京大学の社会科学研究所で助手を2年間、史料編纂所という研究所で数年間、研究員をしていたので、日本に暮らすこと自体は初めてではありません。妻も東京の立川市出身です(笑)。でも、関西に住むのは今回が初めての経験でした。東京は大好きな街ですが、京都もとても気に入りました。

 妻と一緒に日文研の中にある「日文研ハウス」に住んでいますから、通勤時間なしで研究室に着きます。日文研はとくに図書館が素晴らしく、日本研究に必要な文献資料を幅広く収集していますし、必要な本をリクエストすれば、図書館にない本でも2~3日で取り寄せてくれます。静かで、研究に集中できる素晴らしい環境です。

 また、僕は趣味としてジョギングをしますが、日文研のまわりは緑が多く、毎朝とても気持ちよく走ることができました。とくに10分ほど離れたところにある竹林は、まるで嵐山のようにきれいなんです。普段は誰もいない静かなところで、そこをジョギングしていると、日本にいることをしみじみ感じられました。

 

日本について造詣が深い先生ですが、好きな日本の文化はありますか?

 

 やっぱり食文化です。和食はなんでも好きですが、日本の洋食も好きです。 今回、驚いたのは京都には美味しいパン屋さんがとても多いことです。どこで買うパンもとても美味しいんです。こんなに美味しいパンが京都にあるなんて、帰ってアメリカ人に伝えたらみんなショックを受けると思います。みんな、京都では和食しか食べないと思っていますから(笑)。

 また、今回の滞在では初めて「煎茶道」を体験しました。煎茶にも抹茶の茶道と同じように煎茶道があり、いろいろ作法があるんですね。小さな茶器で、いただくのはほんのちょっぴり(笑)。煎茶に関して言えば、他にも講演のために静岡に行って、茶畑で茶摘みや焙煎、手揉みもしました。僕は研究するだけでなく、日常生活でも煎茶が好きで、いつも急須で淹れて飲んでいますよ。

(2018年8月取材)

HELLYER Robert Ingels(ヘリヤー ロバート インガルズ)

ウェイク・フォレスト大学 歴史学科 准教授
研究タイトル:「1850年代~1950年代、日本茶輸出のグローバル・ヒストリー
─生産から消費までの担い手に関する社会経済史的考察─」
招聘期間:2018年4月1日~2018年8月31日(短期/後期)
受入機関:国際日本文化研究センター
アメリカのカリフォルニア州のクレアモント・マッケナ大学にて歴史、哲学、政治、経済プログラムを学び、学位号取得。スタンフォード大学大学院にて1995年修士号取得、2001年博士号取得。専攻は近世、近代日本史。2005年からアメリカ・ノースカロライナ州のウェイク・フォレスト大学にて日本史、東アジア史、世界史を教えている。東アジア学学際融合責任者兼任。

Interview

研究者インタビュー

「博報日本研究フェローシップ」により日本で研究生活を送った研究者の皆さんに、研究内容についてインタビューしました。