Interview

01

変化する語学教育のなかで
外国人による、外国人のための
「日本語教育文法」の研究を

変化する語学教育のなかで
外国人による、外国人のための
「日本語教育文法」の研究を

研究タイトル「文脈重視の日本語教育文法の研究─テイルの用法を例に─ 」

東呉大学 日本語文学系教授

王 世和 さん(台湾)[第12回招聘研究者]

研究タイトル「文脈重視の日本語教育文法の研究─テイルの用法を例に─ 」

東呉大学 日本語文学系教授

王 世和 さん(台湾)[第12回招聘研究者]

今、世界の136の国と地域で、約400万人が日本語を学んでいます。
日本語学・日本語教育の第一人者である野田尚史先生(国立国語研究所)によれば、日本における英語教育が読み書き重視からコミュニケーション重視に変わってきているように、いま、世界における日本語教育もより実践的なものへと変わってきています。
王世和先生も、もともと台湾の大学で日本語を学んだ一人でした。
台湾で多くの生徒に日本語を教え、日本語研究に携わるようになった王先生は、海外で日本語を学ぶ人にとってわかりやすい文法─『日本語教育文法』を、自分なりの視点、研究方法で発展させたいと思うようになりました。
すでに成熟した段階の日本語文法研究のなかで、『日本語教育文法』の研究はまだはじまったばかり。日本語を学ぶ外国人にとって、よりわかりやすい文法は何か。この答えを探して、一年間の日本滞在研究を行った王先生にお話を伺いました。

 

日本を学ぶ外国人にとって理想的な文法とは

 

先生が「日本語教育文法」をテーマに研究をしようと思ったのはなぜですか?

 

 私には、3つの身分があります。まずは、日本語学習者ですね。それから日本語教師でもあり、日本語研究者でもあります。

 それぞれ30年、20年くらいの経歴がありますが、時が経つにつれ、この3つの立場で扱われている内容にはズレがあると強く感じるようになりました。つまり、学習者が必要とする文法と、教育者が教える文法、そして研究者が考える文法が違うということです。

 日本語を学習しているとき、私は「こんな時は、こんなふうに使うんだな」と自分で感じることがありました。その時、自分が置かれた場面で、どんな文法を使えばいいのかがわかってくるんですね。でも、教室で日本語の文法を教える時は、そうした実際の場面や文脈を分けて教えることがほとんどです。

 教育者として生徒に日本語を教えているうちに、日本語を学ぶ人にとってわかりやすく、理想的な文法とは何かを考えるようになり、たどり着いたキーワードが「日本語教育文法」でした。

 

 

日本語を実際に話せるようになるための文法ということですか?

 

 話すだけでなく、「聞く」「話す」「読む」「書く」ための文法ですね。

 一般の日本語文法というのは、日本語そのものの研究です。これはすでに日本語を〝使える〟人、おもに日本語を母語とする人による文法です。これまで日本語を教える時は、この一般の日本語文法をベースに教えていました。でも、学習者にとって本当に必要なのは、もっと日本語が実際の使われる場面や文脈を想定した文法です。

 例えば、「~ていきたい」というのがありますね。「頑張っていきたい」「なかよくしていきたい」などの「ていきたい」です。この言葉は、よく自己紹介の時に使います。終わりに「これからも皆さんと一緒に頑張っていきたいと思います」というように。野球のヒーローインタビューでもよく使いますね。今日のインタビューの終わりに、ひょっとすると私も使うかもしれない(笑)。

 具体的な言語活動ができるようになることをめざして文法を教えるなら、こうした場面・文脈も併せて教えていく必要があると考えたんです。

 

実際に日本で研究をしてみて、発見や成果はありましたか?

 

 たくさんの収穫があったと感じています。

「日本語教育文法」が提唱されるようになったのは、2003年以降のことで、今は、様々な研究方法が模索されている段階です。来日する前、私は「文脈重視」という視点で日本語教育文法の方向性を探ろうと考えていました。文章・談話が専門ということもあり、こんなふうにやっていきたいという思いがあったんです。でもこちらに来てみて、目標を実現していくには、考えていたこととは違う手段や考え方、研究方法があると気がつきました。今はもっと考えが広がり、『運用能力のための語学知識』という概念で研究をまとめています。これは今回の滞在研究で見えてきた大きな方向性です。

 私は今、台湾の日本語教育を引っ張っていかなければいけない歳ですから、今後につながる大きなテーマが見つかったことは大きな収穫でした。

 

 

テーマとなる〝運用能力〟というのは、日本語を使いこなす能力のことですね。

 

 そうです。一般の日本語研究には、語学そのものを研究するという考え方があります。でも、日本語を全く知らない、つまりもともと運用能力がない人に日本語を教えるには、もうちょっと違った視点が必要です。日本語を理解するための文法と、産出するための文法、分けて考える方もいらっしゃいますが、私は日本語をもっと広くとらえたいと思い、テーマに運用能力という言葉を使いました。

 私には日本語を一から学んだ経験があり、大学で日本語を全く知らない生徒に教えた経験もあります。この感覚は日本語を母語にする研究者にはないものであり、台湾での日本語教育だけでなく、今後の日本語教育文法研究に貢献できる部分だと思っています。

 

滞在研究の成果を、これから具体的にどのように活かしていこうとお考えですか?

 

 まず、今回発見した『運用能力のための語学能知識』という概念を具体化していくことですね。そして、研究で得た考え方を、今後の台湾での日本語教育に応用していかなければならない。どのように研究を進め、実際に教育に還元していくのかは、今後十数年の仕事です。

 

日本での研究環境はいかがでしたか?

 

 私は、受け入れ機関として、日本語教育文法の提唱者のひとりである野田尚史教授が所属する国立国語研究所(以下、国語研)を希望しました。さきほどお話ししたように、台湾で日本語を教えながらズレを感じていた時、野田先生の日本語教育についての論文を読ませていただき、すんなりと頭に入りました。私の研究にとって、なくてはならない存在だったのです。

 国語研は、野田先生と同じく、日本語教育文法の実現に力を入れている庵功雄教授が勤務される一橋大学にも近い。私は、招聘された9月から庵先生のゼミに参加し、一橋日本語教育研究会にも入会させていただきました。4月には日本語教育文法についての私見を、講演の形で話す機会もいただきました。

 また、国語研の研究報告会や講演に定期的に参加することで日本語関係の研究の現状に触れることができましたし、私の研究にとって、これ以上ない環境だったと思っています。

 さらに、国語研で滞在研究ができたことによって想定外の収穫もありました。それは、国家レベルの組織の運営方法を身近に感じることができたことです。国語研では、日本語という言語のために、さらには日本という国のために何ができるのかということを考えています。こうした使命・役割、研究組織、研究課題、各研究領域の研究プロジェクトの執行方法などを知ることができたのは、とても刺激になりました。

 

王 世和先生が研究の師と仰ぐ、コミュニケーションを重視した新しい日本語教育文法を提唱している国立国語研究所の野田 尚史教授と。王先生が印象に残っているのは「この研究には、何百本、何千本という研究論文の積み重ねが必要だ」という野田先生の言葉だそうです。「新しい教育文法を確立するのは、それだけ前途多難であり、多くの協力者が必要だということですよね。そのために野田先生は今、基礎工事を進めてくださっている。私もこれから少しでも力になれるよう、研究を続けていきたいです」(王)。

 

ショックの連続だった日本での生活

 

ほかに、日本で生活してみて、新たに発見したことはありますか?

 

 私は日本で8年間の留学経験があり、その後も毎年のように日本各地を訪れ、日本の先生たちと交流していましたから、日本のことはじゅうぶん理解しているつもりでいました。それでも、今回の滞在はショックの連続でした。

 そのひとつが、日本社会における「細分化」という特徴です。「細分化」は、仕事の段取り、商品の種類、話題の区分など、すべての分野で見られました。

 わかりやすい例でいうと…そうですね。私は日本滞在中、大戸屋という飲食チェーン店が気に入って、よく利用していました。この大戸屋にはご飯だけでも白米、雑穀米など5種類から選べて、さらに多め、少な目など量を選べるようになっています。ご飯だけでも、15種類の選択肢があるんですよ。信じられません(笑)。

 自宅でインターネットを使いたいと思っても、まずインターネット回線を選び、さらにいくつもあるプロバイダーから会社を選び、なんとか選んだと思ったら、次はプラン、オプション…。こちらは単純に家にインターネットをつなげたいだけなのに…!!

 今回私は、URの賃貸を利用したんですが、申し込みから入居できるまでは1カ月かかると言われました。事前にインターネットで調べてあり、この部屋が空いていて、ここを借りると決めてあったのに、です。なぜ1カ月後なのかというと、1から6までの段取りがあって、それぞれ5日から1週間あける必要があったからです。ひとつひとつの段取りを見ていくとちゃんと理由があって納得できるんですが(笑)。

 ほかにも例はまだまだあります。インターネットで買い物をしたら、「注文を承りました」というメールにはじまって、「ただいま出荷しました」「どこどこに到着しました」「お客さまが受け取りました」と、全部で9通ものメールを受け取ったり、電車のアプリで歩く速度まで選択しなければいけなかったり…(笑)。

 研究をする上では、細分化の文化によって新たな成果を得られる部分が大きいと思います。細分化することによって、いろんなビジネスのチャンスも見えてきます。でも、物事が複雑化し、効率が悪くなることで長時間労働につながるのではないかという懸念も抱きました。いずれにしても、日本社会を理解する上で、とても興味深いですね。

 

なるほど、細分化…! 確かに、近年の日本の大きな特徴かもしれません。 では最後に、一年の滞在研究を経て、次の招聘者の皆さんに伝えたいメッセージやアドバイスをいただけますか?

 

 みなさん、そうだと思うんですが、実際に来日して研究をしてみると、ギャップを感じることもあります。自分の国の文化との違いや、研究の進め方、分析方法の違いなどですね。

 今回、私が強く感じたのは、日本で学んだことを、そのまま台湾に持って帰ってもだめだということです。若い時、学生の時は、ただ知識を吸収するだけでよかった。でも研究者となった今は、何の問題意識もなく帰ってはいけない。結局は、自分の視点から、ふたつの文化、考え方を融合させることが大事なんです。

 サッカーや野球の世界でもそうですよね。海外から有名な指導者がやってきて、自分の国のやり方を押し付けても成功しないんです。文化や語学の研究も同じことだと思います。みなさんも、自分のアイデンティティを見失うことなく、相手の文化を否定することなく、いかにいいところを融合させるかを忘れないでほしいと思います。学んだことを、自分の国のため、どう活かしていくかを考えていくことが大事ではないかと思います。

(2018年7月取材)

王 世和(オウ セイワ)

東呉大学 日本語文学系 教授
研究タイトル:「文脈重視の日本語教育文法の研究─テイルの用法を例に─」
招聘期間:2017年9月1日~2018年8月31日(長期)
受入機関:国立国語研究所
大学時代、日本語学科で学んだことがきっかけとなり、日本語教育、日本語研究の道に進む。大学卒業後、広島大学に6年間留学。一旦帰国後、再び来日してさらに2年間学ぶ。その後も毎年、日本を訪れて日本語、日本文化への理解を深める。32歳で博士号を取得。20年にわたり大学で日本語を教え、台湾での日本語教育を牽引する。今回の滞在研究では、研究の傍ら1年を通してさまざまな日本の祭り、イベントに参加した。

Interview

研究者インタビュー

「博報日本研究フェローシップ」により日本で研究生活を送った研究者の皆さんに、研究内容についてインタビューしました。