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File No.10 武居 渡氏

金沢大学 人間社会研究域 学校教育系 教授

聞こえない子どもたちが言葉を獲得するルートは
多様であるべきだと思っています

武居 渡氏 「手話はろう児・者にとって第一言語である」という立場で、手話にかかわる心理学的研究、特にろう児の手話獲得プロセスに関する研究を長く行ってきた武居さん。手話と日本語は異なる言語であると明確に区別し、聞こえない子どもたちが言葉を習得する道筋として、手話(第一言語)の力を基盤に日本語(第二言語)の読み書きへとつなげるバイリンガル教育法を研究の主軸に据えている。
 助成研究では、日本初の手話文法の評価テストとなる「日本手話文法理解テスト実用版」を開発して、その妥当性を検証し、成果を現場へ還元すべく全国のろう学校に送付した。こうした研究の背景には次のようなろう教育の潮目があったという。
 「当時は、日本のろう教育や聴覚障害教育の現場で手話が積極的に使われ始めた頃でした。それまで手話は、しゃべる力や日本語の力がつかなくなるという理由で遠ざけられていた時代があったのです。それが方向転換し、もっと手話を活用していきましょうと流れが変わってきた頃でした」。
 武居さんの研究内容を理解するための前提として、手話がろう教育の現場でどう位置付けられてきたのか、大まかな変遷を武居さん自身に解説してもらった。
 「聞こえない子どもたちが日本語を身につける方法のひとつに聴覚口話法があります。聴覚口話法とは、しゃべっている人の口の形と、人工内耳や補聴器を使って聞こえる音をたよりに発音を覚えさせ、音声による会話ができるようにする指導法で、ろう学校ではずっとそれが主流でした。けれども聴覚口話法は相手が話している口元を一生懸命見て読話するわけですから、ものすごく大変です。それに比べて手話は楽に覚えられるので、易きに流れてしまい日本語を覚えなくなる、と言われていた時代があったのです」。
 ただしその頃も、手話は一切必要ない、とされていたわけではないと武居さんは言う。
 「聴覚口話法を使って日本語を学んだあとに手話を学べばいい、という考え方が強かったのです。ただ聴覚口話法を用いて言葉を習得するのは時間がかかるので、結果として幼児期に親や身近な人とコミュニケーションがとれない時期がとても長く続いてしまう。その弊害の方が大きいのではないか、という理由で積極的な手話の導入が始まったのです」。

教科書の手話翻訳ビデオを作って見えてきた新たな課題

 実際に手話を導入してみると、特に幼稚部のクラスの子たちのコミュニケーションが爆発的に豊かになったそうだ。
 しかし、ここで次の問題が明らかになった。
 「小学部に上がると、すべて日本語で書かれた教科書を使うことになるのです。ろう学校の教科書は聞こえる子たちの小学校と全く同じ教科書を使いますから。つまり、それまで先生や友だちとは手話で会話ができていたのに、教科学習はすべて日本語で勉強しなければならない状況に、いきなりなってしまうのです」。
 そこで、手話の力と日本語とを結びつけていく教材が必要だと強く感じた武居さんは、武居さんも部員のひとりである全国手話研究所ろう教育研究部の中で、国語の教科書の手話翻訳ビデオを作成したという。
 「手話で育ってきた子は、小学校1年生の時点で日本語の語彙がそれほどあるわけではないのです。教科書で『おおきなかぶ』を学ぼうとすると、一つひとつの単語に全部ひっかかってしまい、どんなに楽しい教材を取り上げても“この単語の意味はなんですか?”と確認して終わる言葉の学習のような授業になってしまう。先生もしんどいし、子どももしんどくなって日本語が嫌いになってしまう、という悩みを現場から聞いて手話翻訳ビデオの必要性を痛感しました」。
 それが2006年頃のことだそうだ。ろう者の人に『おおきなかぶ』の物語を全て手話で表現してもらい、それをビデオに撮る。ろう学校の子たちは『おおきなかぶ』を学ぶ前に、まず手話翻訳ビデオを見てから教科書を開く。すでにストーリーは理解しているので、わからない単語や文章があったら、もう1回ビデオを見直し、教科書とビデオを行きつ戻りつしながら日本語の読み書きの力をつけていく、というこの方法はある程度の効果をあげた。
 「これでかなり、手話と日本語をつなぐ橋渡しができたと思っていたのですが…」また次なる問題が見えてきた。
 手話翻訳ビデオが有効に働く子どもたちがいる一方で、手話ビデオそのものを理解できない子たちも少なくなかったのだ。
 「つまりビデオの手話を理解できるほどの手話力がない子たちが少なからずいた、ということです。そういう子たちは手話も日本語もあいまいなセミリンガル状態でした。手話を使って日本語の読み書きの力へとつなげていくためには、手話そのものの力を評価できる何かが必要だと思いました」。
 しかし、当時日本には子どもの手話力を客観的に評価できるテストがまったくなかったのである。

イギリス版のテストでまず試作 反省点を活かして実用版を完成

 そこで武居さんは海外の手話評価法から、日本のろう教育現場でも使用可能なものを探した。条件は①短時間で実施できること ②客観的な評価ができること ③評価者に手話力や専門的な知識を求めないこと ④ 検査結果を指導に活かせること の四つだ。
 この条件を満たす海外の評価法を探すのに1年を要し、やっと見つけたのが「イギリス手話文法理解テスト:Receptive Skills Test」だった。テストの内容は、子どもに短い手話のビデオを見てもらい、3~4枚の絵の中から最も意味の合う絵を選ばせる、という簡単なもので全50問を30分程度で実施できる。
 これをもとに武居さんはまず日本手話文法理解テストの試行版を作成し、ろう学校で使用してもらって、ヒアリング調査を行った。その結果、大きくは次の二つの問題が挙がった。一つめは、イギリス版のイラストをそのまま使ったためバスタブの形や髪の色が違うといった文化の差からくる違和感【参照1】や、自前で修正した絵の見づらさ。二つめは、テスト結果の総点だけでは、その子が手話文法の何がわかっていて、何がわかっていないのかを見とれず、今後の指導に活かしづらい、という点だった。
 これらを改善し、より適切な指導に役立つようにと完成したものが「日本手話文法理解テスト実用版」だ。回答用のイラストは日本の文化にあわせてプロのイラストレータが描き直し、より子どもが見やすいものになっている【参照2】。そして最も工夫したのは、その子が何がわからなくて間違えたかを分析できるようにした点だ【表1】。
 「問題2:車が3列に並んでいる」を例に見てみよう【参照3】。正解は3番。もし1番を選んだ場合は「車」と「車が列をなして並んでいる」ことは理解できているが「3列に」という空間的な配置の理解が足りないと推測できる。4番を選んだ場合は「車」はわかっているが「列」の理解が乏しい、2番を選んだ場合は「車」すら理解できていない、ということがわかる。誤答したときにどの選択肢を選んだかで、子どもの理解度や傾向を知ることができるので、今後どの部分を手厚く指導していけばいいかが明確になる。

日本手話文法理解テストの試行版で使用していたイラストの一例
【参照1】日本手話文法理解テストの試行版で使用していたイラストの一例

日本手話文法理解テスト実用版で描き改めたイラストの一例
【参照2】日本手話文法理解テスト実用版で描き改めたイラストの一例

問題2で使用したイラスト
【参照3】問題2で使用したイラスト

【表1】手話文法理解テスト実用版の問題構成及び評価観点
【表1】手話文法理解テスト実用版の問題構成及び評価観点

 さらに武居さんは「日本手話文法理解テスト実用版」の妥当性を検討するため、手話でのコミュニケーションを主としている3校のろう学校で、計85名の聴覚障害幼児童を対象に実用版テストを実施した。学年ごとの平均点を出し、学年が上がるにつれて得点が増加することから、評価テストとして一定程度の妥当性があることと、小学校4年生で点数が天井効果を示していることから、このテストは幼稚部から小学部4年生までの手話文法理解を評価するのに適していると結論づけた。この結果はイギリス手話文法理解テストの適用年齢が3 歳から10 歳までとされていたこととも合致していた。
 テストを送付した全国のろう学校からは「手話がそれほど上手でない担任にも、子どもの手話力が評価できて助かる」「分析シートに子どもの回答を入力するだけで結果が分かるのでありがたい」「イラストがかわいくて、子どものモチベーションの維持に役立っている」といった声が多数寄せられたという。
 開発から7年を過ぎた今でも国内に手話文法評価テストは他に無い。国立特別支援教育総合研究所(神奈川県)で開かれている全国規模の研修では、武居さんは手話をテーマにした講義を受け持っているが、参加者に実際にテストを使ってもらっているうちに評判が広がり、うわさを聞きつけた教師たちから「ぜひ手に入れたい」という問合せが毎年あるそうだ。現場にとっては「こういうテストが欲しかった!」と待ち望んでいた内容だったからだろう。

助成研究のその後 手話語彙力の評価テスト開発

 しかし、文法だけでは子どもの手話力の総体を見ることはできない。また、小学校5年生以上の子どもや大人の評価はどうするのか。助成研究のその後の課題として、語彙力や表出力などのいろいろな面から、手話の総合的な力を評価できるテストのセット(=評価バッテリー)の必要性を感じている武居さん。その中で現在、手話語彙の評価テストを作成中だと言う。
 「語彙力評価では二つ考えていることがあります。一つは語彙理解。どれだけ言葉を知っているか、わかっているかですね。よく知られた日本語の語彙理解検査に絵画語彙検査と呼ばれるものがあります。絵を見せながら『ねこはどれ?』などと質問して正しい絵を指さして答えさせるというもので、難しいものになると『いにしえは?』などがあります。その絵画語彙検査の手話版を作ろう、と思っていたのですが…」。
 そう簡単なことではなく、手話の特性である「写像性」がネックになり、しょっぱなから行き詰まってしまったと言う。
 「手話を知らなくてもジェスチャーでわかってしまう言葉、例えば『食べる』は写像性が高くてテスト問題には使えないのです」。
 そこで武居さんは、聞こえる人がこの手話を見てどれくらいわかると思うか、というアンケート調査を聴覚障害の人に実施して写像性得点なるデータを単語ごとに割り出し、得点の高い単語は排除してリストを作る作業を行った。
 「手話単語一つひとつの基礎的なデータがかなり集まってきたので、使える手話単語を難易度順に並べて実際に検査をし、妥当性があるかどうかを検証していくのがこれからの作業になりますね」。
 もう一つは語彙表出評価で、「こちらも日本語にワードフルーエンシーテスト(Word Fluency Test:語流暢検査)という優れた検査がすでにあるので、その手話版を作ろう、こっちはいけるぞ、と思っています」。
 この検査は「あ」から始まる単語を1分間でどれだけたくさん挙げられるか、という簡便なもの。これを手話版では「1本指を使った手話」とか「両手がくっつく手話」などとし、どれだけたくさん表現できるか、というやり方が可能ではないかと武居さんは考えている。
 この検査は小学校4年生より上の年代にも使え、また、手話を第二言語として学んでいる手話学習者の語彙力評価に使える可能性もあると言う。
 「遅くとも来年には、表出の評価バッテリーは完成させたいですね」。

研究者の道を選んだ理由は 沖縄のおばあちゃんとの同棲生活?!

 武居さんは自らがCODA (Children of Deaf Adults:両親ともにろう者)であり、幼い時から「恵まれた言語環境で育った」と言う。
 「当時、1階に祖父母が、2階に我々の家族が住んでいて、2階で両親と話すときは手話、階段を下りたら祖父母とは音声で会話をしていました。手話も日本語もいつの間にか身についていて、手話をどうやって学んだのか自分自身のことを振り返っても何も覚えていないのです。それが“手話はどういうプロセスで獲得されていくのか”を研究テーマにしたモチベーションのひとつでもあります」。
 さらに続けて、
 「父親はろう学校の教師でしたから教え子が自宅にやって来たり、母方の親戚には何人か聞こえない人がいたので親戚が集まると手話と音声の日本語が飛び交っていたり。本当にいろんなろう者が出入りする家でしたね」。
 そのような環境で育った武居さんは「大学を卒業したらろう学校の教師になるのかな」と漠然と自分の未来を考えていたが、卒論をきっかけに研究者の道を選ぶことになる。
 「沖縄の離島に住む、小学校にもろう学校にも行ったことのない耳の聞こえないおばあちゃんと2ヶ月間同棲生活を送りました(笑)。日本語はわからないし手話も全く知らない。そのおばあちゃんが姉妹や母親とどうコミュニケーションするかというと、家族の中で通じるホームサインを使うのです。最初はおばあちゃんのサインは全くわかりませんでしたが、毎日通って朝から晩まで一緒に生活しているとだんだんわかってくるんですよ。おばあちゃんの身振りをカメラで撮影して記述し、身振りの構造と手話を比較したのが僕の卒論だったのです」。

CODAである武居さんがめざす これからのろう教育

 現在、金沢大学では武居さんが障がい学生支援室長として企画した「手話奉仕員養成講座」の基礎講座が開設されており、10人ほどの学生が手話奉仕員の資格をとるために学んでいる。昨秋、基礎講座の前段階として、入門講座を始めたところ、定員20名のところに80名近い応募があり、泣く泣く35名に絞ったそうだ。それ以前にも学内でお昼休みにサークル的な手話カフェを開き、学生だけでなく地域の人や他県のおじいちゃんなども集って手話を学びあったという。
 「最近の学生たちは手話に対する、“大げさで恥ずかしい”といった抵抗感がないですね。やはりテレビドラマの影響は大きいと思います。『愛していると言ってくれ』とか『オレンジデイズ』とか。小中学生の頃、総合的な学習の時間に手話で歌を歌った経験がある学生も多いですよ」。
 またNHK-Eテレで放映中の『みんなの手話』の監修も手掛けている武居さん。こういった手話の広まりは、手話を言語として認め学ぶ機会を保障し普及させよう、という手話言語法や手話言語条例の成立とも相まって大きな追い風になっていると感じる一方、それ以上の逆風も感じているという。
 「矛盾するようですが、実は日本手話ユーザーが減ってきているのです。昨年、ろう教育学会が開催されたニュージーランドも同様で、手話言語の継承のために国がお金を出して保護しようとしている。日本はこうなってはダメだと強く思いました」。
 ニュージーランドがそうなった理由を武居さんは「聞こえない子どもが言葉を習得するルートを一元的にしてしまったから」だと言う。そのルートとは「障害を早く見つけ、すぐに人工内耳を使い、人工内耳でダメだった子は仕方ないので手話を使う」というもの。
 この考え方では結果として手話ユーザーに劣ったニュアンスがつきまとってしまう。
 「聴覚活用がいけないと言っているわけではないし、手話が一番いい方法だと言っているわけでもありません。重要なのは多様性を失ってはいけない、ということです」。
 それは聞こえない子どもがどこで教育を受けるかの選択肢を確保することにもつながる。武居さんがセンター長をつとめる『いしかわ赤ちゃん聞こえの相談支援センター』通称『みみずくクラブ』では、耳鼻科医師の協力を得て、聞こえない子どもの親にろう学校や療育機関を複数紹介し、親がある程度の知識と情報を得たうえで子どもの教育機関を選択できるようサポートしている。
 多様な場所でろう教育に深く関わってきた武居さんが思う、ろう教育のビジョンについて最後にうかがった。
 「聞こえない子が言葉を習得する方法をろう教育は百何十年かけて模索しているわけですが、効果的な方法はあっても決定打はまだ世界中どこにもありません。この方法でこの子はこれだけ成果があがりました、という例はたくさんありますが、同じ方法が別の子には役に立たないことがある。この歴史からろう教育が学ぶべきことは、子どもが言葉を学ぶ道筋をひとつにしないことだと思うのです。“○○法”ひとつだけにしてしまったら、そこに合わない子は残念でしたと見捨てられることになってしまう。こっちがダメでもこれがあるよ、と、道は複数用意されていることが大切なんです。つい我々はどの方法がいちばん効果が高いかと考えがちですが、そうではない、ということをろう教育の歴史は教えてくれているように思います」。

手話基礎講座のひとコマ。
手話基礎講座のひとコマ。
この日、最初の課題は「住んでいる場所の郵便番号を手話で聞きあって、数字の高い順に座席を移動しましょう」。講師は石川県聴覚障害者協会の青井佳奈子さん。

<手話豆知識 >武居さんに 教えてもらいました

手話に関する素朴な疑問?!

Q. 手話は世界共通なのですか?

A. 違います。国によって国語が違うのと同じです。英語圏のアメリカとイギリスでも違っていて、国際会議など公の場ではアメリカ手話がよく使われます。国際手話(ジェスチューノ)と言われるエスペラント語のような手話もあり、それが使われることもあります。

Q. 手話の起源は何なのですか?

A. 手話はもともと家族の中だけで通じるホームサインから始まり、それらが学校など公の場に持ち込まれたとき、コミュニケーションを成立させるために共有され、共通化されていったものだと考えられています。地域特有の言葉や言い回しである方言も、手話に反映されています。

Q. 手話に「あいうえお」の50音はあるのですか?

指文字という、日本語の50 音を手で表したものがあります。ただし、この指文字は正確には手話ではなく日本語の一形態です。手話の会話の中で地名や人の名前など、日本語から借用して表現する際に使われることが多いです。

Q. 新しい言葉の手話表現は、どうやって作られるのですか?

A. 京都にある全国手話研修センター日本手話研究所など厚生労働省から委託された幾つかの団体が言語サインを研究し作っています。「スマートフォン」、「LINE」を表すサインもこれらの団体で作られました。

Q. 日本手話と日本語はどこが違うのですか?

A. 手話はひとつの言語だと考えてみてください。日本語と英語が違うのと同じように、日本語と日本手話も異なるものです。例えば『私は昨日FAXを送りました。見てくれましたか?』という日本語は、手話で表現すると次のようになります。
『(自分への指差し)/昨日/FAX送る(自分から相手の方へ動かす)/した(完了の意味を表す表情と一緒に)。/見る/した(相手への指差し+yesかnoかを問う表情と一緒に)』。
そのほか、「ドアを開ける」は日本語では「ドアを/開ける」ですが、手話では一つの言語サインで表せます。

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