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File No.5 猪原 敬介氏

日本学術振興会 特別研究員 PD
(研究従事機関:電気通信大学 情報理工学研究科 内海彰研究室)

読書の価値を数値で示し、
言語教育の実践に役立てたい

猪原敬介氏 読書とは一度に大量の単語を入力する行為である — このユニークな視点で日本人児童の読書と言語能力の因果関係に切り込もうとしているのが、猪原さんだ。
 読書が人間の知的能力に及ぼす影響については、世界的に多くの教育心理学的研究が行われてきたようだ。特に英語圏で多く報告されてきたのが「読書量」「語彙力」「文章理解力」の間には促進関係があるという知見。しかも最近の研究では、かなり幼い時期から読書は語彙力に影響し、小学校1年生の時の語彙力の差は小学校6年生になっても埋まらず(固定化)、語彙力と文章理解力は互いに高めあう相互促進関係を持つので、幼いころについてしまった言語能力の差はますます拡大されてしまう、というショッキングな報告もあるという。
 大学院生当時これらの先行研究に触発された猪原さんだったが、翻って国内を見渡すと、日本人児童の「読書量」「語彙力」「文章理解力」の関係についての研究は非常に乏しく、しかも小学校低学年を対象に読書と言語能力の関係を検討した研究は皆無といっていい状態だった。
 にも関わらず、日本では多くの小中学校、高校で「朝の読書」が実施され、読書の効果が様々に主張されている。が、その科学的根拠を示したものはほとんど見当たらない。この現状に猪原さんは問題意識を持った。こういった状況で、現場の教師は児童にどう効果的な読書指導をすればいいのか。そもそも、読書に言語能力を高める効果が本当にあるのか — 。

 「大学の学部生の頃からずっと文章理解の研究をしていました。人間はどのように文章を理解するのかという心理学的な基礎研究です。修士、博士と進む中で、基礎研究を教育現場へどう応用していくかを強く考えるようになり、基礎的なテーマを“文章理解”から“言語獲得”や“言語学習”へと移していったのです」。
 そして「読書」という切り口に着目した。「文章を理解するためには言語的な知識が必要ですが、では言語的な知識を人はどう獲得していくのか。人間は言葉の意味をダイレクトに学習するというより、“言葉の使われ方情報”をたくさん学習することで意味を獲得する、という認知心理学的な考え方があり、それを新たな基礎研究テーマとしました。その時に読書というものが特別な行為のように思えたのです。日常生活の中で読書ほど短時間に大量の単語を取り入れる行為はないな、と」。
 さらに「小学校の先生方が、読書時間を確保するためにも知見は必要だと後押ししてくださったことも、現場での応用を意識した理由のひとつです」。
 読書量が多ければ語彙力や文章理解力が伸びる、この因果関係を科学的に明らかにすることができれば、教育現場での効果的な読書指導が可能になる。基礎研究を応用へ結びつける包括的な観点から、猪原さんは助成研究に取り組んだ。

「図書貸出数」は読書量推定指標になりうるか

「図書貸出数」は読書量推定指標になりうるかの画像 助成研究では公立2校、私立1校の協力を得て、小学校1年生から6年生までの児童合計992名を対象に大規模な横断調査を行った。最終目的は「読書量」「語彙力」「文章理解力」の関係を明らかにすることだが、まず猪原さんは「読書量」を測定するのに最も理論的に妥当な方法は何か=国内で標準となりうる読書量推定指標を模索するところから研究に着手した。その理由は、読書量の測定は容易なことではないにも関わらず、国内外で使用されている測定方法の検討が不十分ではないかと考えたからだ。
 そこで、読書量推定指標として考えられる候補7つ —「読書時間」「読書冊数」「生活時間帯調査」「活動選好調査」「再認テスト」「図書貸出数」「日誌法」— を猪原さんなりに評価し、それぞれに利点と欠点がある中で考察した結果、①読書量を正確に把握できるのは「日誌法」(読書するたびに記録する方法)だと思われるが、サンプルを集める事が困難で現実的ではない ②「図書貸出数」は図書を借りるという実際の“行動”を測定している点で、子どもの“記憶”や“報告”など主観を含むほかの指標よりも理論的妥当性が高い と考え、この研究では「図書貸出数」が真の読書量を正確に反映している指標であると仮定した。
 しかし「図書貸出数」は学校から入手するのが難しい場合もあり、簡便ではない。そこで「図書貸出数」と、これらの指標の相関関係を分析し、「図書貸出数」の代替となりうる妥当かつ簡便な方法を選定することを第一の目的とした。

 実際に調査した指標は「日誌法」を除いた6種類。すべて同じ参加者からデータを収集した。「再認テスト」は海外の研究ではスタンダードな読書量推定方法として多用されているものだ。「著者名再認テスト」と「タイトル再認テスト」の2種類があり、本の著者やタイトルを羅列した表の中に、実在するもの(ターゲット)と実在しないもの(フィラー)を混在させて提示し、知っているものに○をつけさせるテストである。
 が、再認テストの日本語版は無かったため、猪原さんはオリジナルで「タイトル再認テスト」日本語版【参照1】(小学校低学年向け、中学年向け、高学年向けの3種類)を作った。日本で小学生を対象とした「タイトル再認テスト」実施は猪原さんの研究が初めてであり貴重なデータだといえる。同様に、「生活時間帯調査」と「活動選好調査」も日本語版が無かったため、新たに作成した。

【参照1】タイトル再認テスト
タイトル再認テスト
はフィラー。実際のテストに色付けはしていない。)

 そしてこれら前述の6つの「読書量推定指標」と、2つの言語能力指標=「語彙力」「文章理解力」(市販の『Reading-Test 読書力診断検査』を使って調査)の、計8つの指標間の相関関係を分析した。
 相関関係とは、読書量が多いと語彙力も高い、というような関係である。

 猪原さんは結果をわかりやすく示すため、各指標の関連を視覚的に把握できる「多次元尺度構成法」を使って表した【図1】。指標間の距離が近いほど、関連が強い=正の相関関係が強いことを意味している。これにより、例えば①語彙力と文章理解力は近い②図書貸出数はどの指標とも一定の距離を取り、際立って近い読書量指標はないことなどが明らかになった。
 分析と考察の結果、猪原さんは、少なくとも小学校児童に関しては「図書貸出数」の代替となる簡便な測定方法は存在しないのでは、と結論づけた。
 「より正確に言うと、読書量推定指標そのものについてもう少し詳細な研究が必要ではないか、という問題提起になったと思います。どの指標も読書量を測定しているのだから、互いに近い距離になるはずですが、そうはなりませんでした。理由は、どの指標が正確に読書量を反映しているかは学年によって異なるからではないか、と考えています。低学年児童に、先週何分読書をしたか回答を求めること自体難しいかもしれませんし、高学年になって分厚い本を読むようになると読んだ冊数が少ないから読書量が少ないと一概には言えない。図書館で借りる以外に買って読むとか雑誌を読む機会が増える、といった要因も考えられます。この点は今後の課題だと思っています」。

【図1】読書量指標間の距離
【図1】読書量指標間の距離

学年によって異なるのか?読書がもたらす言語的効果

 求めていた“妥当”かつ“簡便”の両方を満たす読書量推定指標は見つけられなかった。が、この指標自体の研究が必要である点もふまえた上で、最初の仮定どおり「図書貸出数」をこの研究での「読書量」とする方針をとった。
 そして、「図書貸出数」を指標に用いて測定した「読書量」が、「語彙力」と「文章理解力」に及ぼす影響について、それぞれの“直接”効果と“間接”効果を分析して検討した。
 というのも、[読書量と語彙力の間に正の相関関係があった]からといって、必ずしも[読書量が語彙力に“直接”影響した]とはいえない。なぜならば【図1】のとおり、語彙力と文章理解力は非常に高い相関関係を持っているので、文章理解力から語彙力に影響した結果(疑似相関)であった可能性を含むからだ。

 そこで猪原さんは「媒介分析」でさらに精緻な分析を行い、その結果、小学校低学年のような早い時期から読書量は語彙力の向上に貢献することと、さらに次のような発達段階における関係の変化も明らかにした【図2】。
①小学校低学年の時期は、読書量は語彙力を経由して、文書理解力の向上に影響する
②中学年の時期は、読書量は、語彙力と文章理解力の両方に直接影響する
③高学年の時期は、読書量は文章理解力を経由してのみ、語彙力に影響する
④語彙力と文章理解力が互いに強く影響し合うという関係は1年生から6年生まで不変である。

 この結果は、学年によって読書の持つ意味が異なることを示唆しており、現場の教師が読書を用いて言語教育をする際の指針にもなりうる。例えば、低学年では文章全体を理解させるより、一つひとつの単語の意味をしっかりと教えていくことが重要だが、高学年では文章そのものをしっかりと理解させることで文章理解力を伸ばし、それがひいては語彙力向上につながる、ということが考えられる。
 3要因の関係性を発達段階に応じて分析した研究は国内初、といえるものだったが、しかし助成研究内容を精査して投稿した論文が学術誌『教育心理学研究』に採択された際、猪原さんは、媒介分析による「読書量の効果モデル」部分を取り下げている。
 当時と結論が変わった、ということなのだろうか?

【図2】小学校低学年と高学年で優勢な「読書量の効果モデル」
【図2】小学校低学年と高学年で優勢な「読書量の効果モデル」

横断調査から縦断調査へ
読書量⇒言語能力の因果関係に踏みこむ

 「そのとき1回きりの横断調査で効果モデルの仮説を示せた、と言い切るには、まだデータが弱いと判断したからです」。

 猪原さんがこの研究助成に応募したのはドクター3年の秋。実際、研究にとりかかったときは、福井大学医学部で自閉症の評価に関するプロジェクト研究員として勤務していた。
 「福井大での2年間で、医学の世界では基礎研究が患者の治療法にかなりダイレクトにつながることを目の当たりにし、やはり応用していかなければ、との思いを新たにしました。読書研究では、読書をしたから言語の力が伸びたのだという因果関係を実証したい。そうすれば教育現場での読書活動推進は効果があると言えるし、言語能力への影響力をふまえた読書指導も可能になります」。
 因果関係に踏み込むため、猪原さんは横断調査で協力を得た1校について引き続き2年間の縦断調査を行い、論文投稿中だという。
 「読書は、少なくとも言語能力の一部を伸ばすという因果関係を示す結果が得られています」。

 今春からはさらにもう1校、縦断調査を開始した。
 「相関関係があるというだけでは、因果関係があることにはなりません。読書⇒語彙力かもしれないし、語彙力⇒読書かもしれない。そういう別解釈を残すデータでは弱いのです。同じ学校の同じ学年を追跡調査する縦断調査で「言語能力の伸び」と「その間の読書量」の関係を調べ、読書⇒言語能力の矢印の方向を示したいです」。

横断調査から縦断調査へ読書量⇒言語能力の因果関係に踏みこむ

読書は一人で継続できる自律的な学習方法

 猪原さんは現在、電気通信大学の情報理工学研究科に籍を置き、基礎研究としてコンピュータシミュレーションを行っている。読書量が増えるとどういうメカニズムで語彙力が伸びるのか、を明らかにするためだ。「先に、人は“言葉の使われ方情報”をたくさん学習して言語の意味を獲得する、と言いましたが、言語のようにルール化しにくいものを学習するとき、人間は推測を働かせて理解できるようになる=パターンを学習する、という考え方があります。そのルールをコンピュータプログラムに学習させるには大量の言葉の用例を入力するのですが、それを人間に置き換えた行為が読書ではないかと思っています。メカニズムはかなり複雑で、完全にプログラム化するのは難しいのですが」。
 そのコンピュータシミュレーションによる基礎研究をクローズアップしてまとめたのが今春発行した『読書と言語能力 言葉の「用法」がもたらす学習効果』だ。今後は基礎データを積み上げながら、言語能力が弱い子どものために効果的なトレーニングプログラムを開発できるよう、介入研究を行っていきたい、など意欲は尽きない。「読書は教育において非常にメリットのある方法だと思っています。まずコストが少ない。図書館などを利用するほか、電車の中でも公園のベンチでも本を読める場所は多様にあります。何より一人でできる。しかも、ある程度読めるようになれば一人で継続してできる行為なので、言葉の力だけでなく知的な面や情緒的な面も含め、自律的な学習において有効な手段だと思います」。
 だからこそ、読書をすれば言語能力が伸びる、と実証したい。猪原さんの熱意が教育現場に活かされる日が待ちどおしい。

『読書と言語能力 言葉の「用法」がもたらす学習効果』(猪原敬介=著 京都大学学術出版会)
『読書と言語能力 言葉の「用法」がもたらす学習効果』(猪原敬介=著 京都大学学術出版会)

僕の読書体験 ―読書研究者に聞いてみました―

そのジャンルの導入的な1冊に巡りあえれば 読書量が増える弾みになるはず

猪原敬介氏の画像 色々な小学校を見せていただく機会が多いのですが、学校によって図書館の差があまりに大きいことに驚きます。学校の中心に図書館があり図書内容も充実していて、本の置き方まで工夫されているような所もあれば、図書館が校舎の端っこの陽も当たらないような場所にあって、子どもたちにほとんど利用されていない所もある。僕は学校図書館が好きで、昼休みはよく図書館で本を読んでいましたから、学校図書館をどう充実させるかを考える際にも読書の有効性に関する知見が役立ってくれればと思います。

それいけズッコケ三人組
それいけズッコケ三人組
作/那須 正幹  絵/前川 かずお  出版社/ポプラ社

 読書量がいちばん多かったのは中学高校時代。あの頃は推理小説を本当にたくさん読みました。学校の勉強はもういいや(笑)みたいな感じでしたね。もちろん友達とも遊びましたし、ゲームもしましたが、それらには無い面白さが読書にはあったのでしょう。
 幼いころは親が読み聞かせをしてくれていたようです。自分の記憶がある訳ではないので親の口ぶりとか、家に絵本がいろいろあったとか、からの推測ですが。『三びきのやぎのがらがらどん』(ノルウェーの昔話 マーシャ・ブラウン=絵 瀬田貞二=訳 福音館書店)が好きでしたね。小学校の学校図書館では『それいけズッコケ三人組』シリーズをよく読んでいました。これは低学年にはお薦めです。昔の作品ですが内容がしっかりしていて、ミステリーや探偵もののような要素があって面白く読めます。
 子どもたちには、ある確立されたジャンルの導入になるような本が薦められるといいなと思います。ミステリー、純文学、青春小説etc. 僕は司馬遼太郎の『燃えよ剣』を読んで歴史小説にはまりました。小学校高学年から中学生に歴史小説への導入としてお薦めします。

 ある1冊をきっかけに、そのジャンルに興味がわいて、どんどん読みたくなる — その1冊に巡りあった経験は読書量を増やしていく弾みになるはずです。

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