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プロローグ

日本人による、日本人のための、日本語の発達性ディスレクシア研究

日本人による、日本人のための、日本語の発達性ディスレクシア研究の画像 皆さんは「ディスレクシア(Dyslexia)」と呼ばれる発達障害を抱えた子どもたちがいることをご存じだっただろうか。Dyslexiaはギリシャ語で「困難」を表す“dys”と「文字言語」を意味する“lexis”から作られた用語で、「読み」に問題があると「出力」にあたる「書き」にも問題が生じやすいことから一般的に「読み書き障害」と言われている。知的な問題はないのに、とりわけ「読み」が苦手で、症状が重い場合は平仮名さえ一文字ずつ拾うようにしか読めないという。事故や病気が原因で後天的に読み書きが困難になるケースと区別するため、「発達性ディスレクシア」が正しい呼称とされている。

 ディスレクシアは、学習障害(LD)*1のひとつである。調査によって異なるが、英語圏での出現頻度は10~15%ともいわれ、映画監督スティーブン・スピルバーグや作家ジョン・アーヴィングは、自身がディスレクシアである事を公表している。また英語圏ではディスレクシアのある子が通常学級に10%以上いることを前提とした学校教育が既に行われているといい、診断と評価のための検査方法や支援システムがある程度整い、子どもたちをサポートする人材の層も充実しているようだ。

 それでは日本のディスレクシア児に対する支援はどの程度のものなのだろう。残念ながら、まだまだ発展途上と言わざるを得ない状況だ。文部科学省が2012年に実施した調査によると通常学級に在籍する小中学生のうち、クラスに1人は学習面で著しい困難を示す子どもがいる可能性が報告されており、その中にはディスレクシアのある子どもも含まれていると考えられる。にもかかわらず日本では長いあいだ見過ごされてきたように思われる。

[見過ごされてきた訳] 問題が気づかれにくい

 ディスレクシアは別名“hidden disability”(ヒドゥン・ディスアビリティ)*2と呼ばれている。彼らには肢体不自由障害者などのように目で見てわかる特徴がなく、教室を歩き回るとか友達とコミュニケーションがとれずトラブルを起こしやすいといった行動面での目立った問題がないため、周囲に気づかれにくいことが多いようだ。

読み書きはできて当たり前、という社会全般の思い込みが強い

 最初のつまづきは「仮名読み」に現れるが、日本特有の文化的風土とも関連しているのだろう、小学校低学年で平仮名やカタカナの読みが多少たどたどしくても「そのうち読めるようになる」「男の子は言葉が遅いから」と親も教師もまずは様子をみる傾向が強いようだ。特に「知的な遅れがない」ことがディスレクシアと診断される基準でもあるため「やればできるはず」「本人の努力不足」といった周囲の思い込みも根強いように思われる。

根幹原因が見えなくなってしまう

 様子をみているうちに高学年、中学生となり、ディスレクシアだとわかった時には学習全般に著しい影響が及んでいる場合が多い。教科書やテストの問題文を読むのが困難なのだから成績低下は当然だろう。学習意欲や自尊心の低下による不登校や引きこもり(二次障害)も絡んで問題が複雑化し、支援が極めて難しくなってしまうこともある。
 二次障害を免れたとしても、読む行為そのものを厭うようになるため、書かれたものから知識や情報を得る経験が大きく制限され、義務教育以降の教育を受ける選択肢が狭まったり、就職の機会を失くするといった負の連鎖にからめとられてしまう可能性が高いという。成人になってからディスレクシアであるとわかった場合、それまでに本人が被ってきた不利益の数々は想像に難くないだろう。

英語圏に比べると出現頻度が少なく重症度も低い

 英語の場合「a」には「ə」「ei」「æ」など多数のオトが対応し、この文字はこう読むという規則性が低い。そのため言語習得という点ではアルファベット言語のほうが難しく、結果、英語圏ではディスレクシアの出現頻度*3が高く、重症なケースも多いという。それに比べると日本語は「あ」には「ア」のオトしか対応しないため、日本人にはディスレクシアの子どもなんていない、と言われ見過ごされていた時代もあったようだ。

 以上のような点から、早期発見が最重要だとする考え方が研究者や言語聴覚士などの医療関係者、特別支援教育の立場からも共通認識となってきている。小学校低学年のうちにどう発見するか―介入が必要な「障害」なのか「様子見」でいいのか、その判断基準となる検査の研究は非常に重要だと言えるだろう。

検査が非常に少ない

 ところが — 。ディスレクシアのある子が見過ごされてきた最大の理由が検査法の少なさにあったようだ。なんと2000年の初めごろまで、日本には標準化された検査がなかったという。現在は何種類かの検査が開発され使用されているが、まだ十分とは言えないようだ。診断*4に足る妥当性のある検査、科学的根拠に基づいた検査がまだまだ少ないという指摘もある。

原因がまだはっきりとはわかっていない

デコーディング能力が弱い

 英語圏の先行研究成果から、ディスレクシアの中核的な原因は「文字」という記号を「オト」に結びつける脳の働きが先天的に弱いからではないかと推論されている。平仮名の「あ」を「ア」というオトに結び付ける力が弱いのだ。この「文字記号」を「オト」に変換する段階をdecoding(デコーディング)といい、ディスレクシアのある子はデコーディング能力が弱いと言われている。

音韻情報処理能力が弱い

 言語の違いがあっても人はオギャーと産まれた後はまず話し言葉を発達させ、それから文字を覚える。「りんご」は「リ」「ン」「ゴ」という3つの独立したオトの粒からできており、「リ/ン/ゴ」の順番に並んでいると解るかどうか — オトと文字の対応に気づく力が弱いために読みが困難になるという説もある。

視覚情報処理能力が弱い

 読みの習得に必要な能力は言語の種類によって異なることがわかってきているという。日本語の場合「漢字」の読み書きの習得には形を知覚する力、形を覚える力、オトを記憶する力、語彙力、筆順どおりに手を動かす運動能力など多様な力を使っていると言われている。

 これらディスレクシアの原因究明に関しては、日本語に特化した読みのメカニズムをモデル化してコンピュータ上に再現する研究が現在進んでいる。英語の読みのモデルはすでに海外で完成しており、この日本語版モデルが完成すれば非常に学術的価値の高い研究になることが期待される。また、メカニズム解明には機能的MRIを用いて脳の働きを診る研究も行われている。

ディスレクシアのイメージ

[発見から支援、そして人材へ] 公教育でどうサポートできるか

 ディスレクシアのある子の読み書きに関するつまづきは一人ひとり程度の差があり、症状を引き起こしている背景もさまざまだという。その子の障害特性を精査し、弱い能力と強みにできる力を明らかにして指導の指針へとつなげるためにも、多様な検査の開発研究が必要とされている。また、早期発見から早期介入へとつなげる支援プログラムの構築、教育現場への導入を前提とした支援システムを確立しようとする実践研究も成果を見せ始めている。が、このような検査や実践を学校で行うことに対する現場の理解がまだ十分ではないのが現状だ。家庭や専門施設だけでは子どもたちを十分に支えてはゆけない。まず公教育の現場で観て見つけ、診られるような支援体制づくりが求められている。

人材育成という課題

 最近はディスレクシアに関心や理解を示す教師や医療関係者も増えてきているようだ。が、通常学級の教師は特別支援教育の資格を取っていないことも多く、ディスレクシアの「みかた」を教わっていない人が多い。早期に発見できても、その後の指導が出来なければ救えない。ディスレクシアのある子を広い意味でみられる人材を育てることはこれからの重要課題だといえるだろう。

*1 文部科学省によるLDの定義:「学習障害とは、基本的には全般的な知的発達に遅れはないが、聞く、話す、読む、書く、計算する又は推論する能力のうち特定のものの習得と使用に著しい困難を示す様々な状態を指すものである。(後略)」
*2 Hidden:「隠れた」「秘密の、内緒の…」。
*3 ちなみに日本での出現頻度は平仮名・カタカナの音読で約1%、漢字の音読で5~6%、仮名の書字で3.5%、漢字の書字で約8%という研究報告がある。
*4 診断:ディスレクシアの診断には医学的基準と教育的基準の2種類がある。

〈症状と特徴〉ディスレクシアの症状は「音読」に特徴的に現れ、次のようなものがあると言われている。

  • 単語や文章の読みがたどたどしく、全く読めない訳ではないがスラスラとは読めない
  • 一文字ずつ拾っていく逐字読み、「っ」や「きゅ」といった促音や拗音が読めない
  • ふた通りの読みをする文字(「へ」や「は」)や形の似ている文字(「あ」と「お」、「わ」と「れ」)などを読み誤ることが多い
  • 勝手読みや読み飛ばしなど不正確な読みが多い(「行きました」を「行った」など)
  • 長い文章を読ませると、どの行を読んでいるのかわからなくなることがある
  • 黒板の字をノートに書き写したり、ノートのマス目にバランス良く文字を書けない子もいる
  • 女児より男児のほうが出現率が高く、左利きが多いと言われている

参考資料一覧

  • 「発達障害ハンドブック 第2版」図書出版 文理閣 田巻義孝=著
  • 「キーワードブック 特別支援教育 インクルーシブ教育時代の障害児教育」クリエイツかもがわ 玉村公二彦ほか=編
  • 「発達障害かもしれない」光文社新書 光文社 磯部潮=著
  • 「新しい発達と障害を考える本③」ミネルヴァ書房 内山登紀夫=監修 神奈川LD協会=編
  • 「〈子どものこころと体シリーズ〉発達障害の疑問に答える」慶應義塾大学出版会 黒木俊秀=編
  • 「LD(学習障害)とディスレクシア(読み書き障害) 子どもたちの「学び」と「個性」」講談社+α新書 講談社 上野一彦=著
  • 「図解 よくわかるLD(学習障害)」ナツメ社 上野一彦=著
  • 「読み書き障害(ディスレクシア)のすべて ― 頭はいいのに、本が読めない」PHP研究所 サリー・シェイウィッツ=著 藤田あきよ=訳 加藤醇子=医学監修
  • 「怠けてなんかない!ディスレクシア~読む・書く・記憶するのが困難なLDの子どもたち」岩崎書店 品川裕香=著
  • 「ことばとこころの発達と障害」永井書店 宇野彰=編
  • 「小学生の読み書きスクリーニング検査 ― 発達性読み書き障害(発達性dyslexia)検出のために ― 」インテルナ出版 宇野彰ほか=著
  • 「言語聴覚士のための事例で学ぶことばの発達障害」医歯薬出版 大石敬子ほか=編
  • 「CARD 包括的領域別読み能力検査 ガイドブック」ウィードプランニング 奥村智人ほか=著 玉井浩=監修
  • 「ファンタジウム 1~9巻」モーニングKC 講談社 杉本亜未=著

File No.1

原 惠子氏

研究代表者

原 惠子氏上智大学 大学院言語科学研究科 准教授

第8回 研究助成
発達性ディスレクシアの早期スクリーニング検査開発
[助成期間]2013年4月~2014年3月
第8回 継続助成(アドバンストステージ)【短期】
発達性ディスレクシアの早期発見・早期介入のための教育実践~学級での発見から支援へのシステム構築の試み~
[継続助成期間]2014年8月~2015年3月

File No.2

奥村 智人氏

研究代表者

奥村 智人氏大阪医科大学LDセンター 技術職員 オプトメトリスト

第5回 研究助成
発達性読み書き障害への障害特性に応じた読み支援法の開発
[助成期間]2010年4月~2011年3月

File No.3

三盃 亜美氏

研究代表者

三盃 亜美氏大阪教育大学 教育学部 特別支援教育講座 講師

第7回 研究助成
発達性「読み」障害における音読速度障害の障害メカニズムの解明
[助成期間]2012年4月~2013年3月

File No.4

関 あゆみ氏

研究代表者

関 あゆみ氏北海道大学大学院 教育学研究院 准教授

第6回 研究助成
読字指導法開発のための漢字の読みの仮説モデルの検討
[助成期間]2011年4月~2012年3月

※所属・役職は取材時のものです。

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